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アソル・フガード戯曲の魅力
栗山 民也(くりやま たみや)さん
栗山 民也(くりやま たみや)
舞台演出家。1953年生まれ。東京都出身。
早稲田大学文学部演劇学科卒業。80年『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット作)で初演出を手掛け、83年『グレイクリスマス』(斎藤憐作)で演出家として本格デビューを果たす。
96年『GHETTO ゲットー』(ジョシュア・ソボル作)の演出で紀伊国屋演劇賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞、芸術選奨新人賞を受賞。99年『エヴァ・帰りのない旅』(ダイアン・サミュエルズ作)で毎日芸術賞、第1回千田是也賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞受賞。その後も05年『喪服の似合うエレクトラ』(ユージン・オニール作)で朝日舞台芸術賞グランプリ、12年『ピアフ』『雨』『日本人のへそ』で芸術選奨文部科学大臣賞、14年『木の上の軍隊』『マイ・ロマンティック・ヒストリー~カレの事情とカノジョの都合~』『それからのブンとフン』で第39回菊田一夫演劇賞・演劇賞など、演出の成果に対し受賞多数。
02年第1回朝日舞台芸術賞舞台芸術賞、13年紫綬褒章受章。
新国立劇場演劇部門芸術監督(2000年~2007年8月)。新国立劇場演劇研修所所長(2005年~2015年3月)を歴任。
今回、地人会新社がアソル・フガード作品を上演するにあたって、『豚小屋』という作品を薦められたのは栗山さんと伺いました。その理由をお聞かせください。
演劇人として、僕の中にはいつも「この未来を見通せない世界情勢の中で、ただ呑気にエンターテインメントをやっていていいのか」という思いがあります。もちろんエンターテインメントに関わることもありますが、一方で時代に警鐘を鳴らすような作品を意識して演出してきました。『豚小屋』は1991年に小さな小屋で上演したことがあり、それ以来「またいつかやりたい」と、ずっと僕の中に生き続けていた作品です。また、地人会新社の前身である地人会を率いていた木村光一さんの演出助手を務めていたので、木村さんのものの考え方や世界の見方、そこで取り上げる作品の傾向などはなんとなくわかります。それは「社会と向き合う」ということであり、僕はそれを受け継いでいると思います。そこで今回の公演には『豚小屋』がふさわしいと思い、薦めました。
『豚小屋』はどのようなお話なのでしょう。
豚小屋に41年間隠れ暮らしていた旧ソ連軍の脱走兵、パーヴェル・イワノーヴィッチと妻のプラスコーヴィアとの生活を描いた作品です。作者のアソル・フガードは、豚小屋というのはメタファーであると言っています。南アフリカ共和国出身のフガードにとって、アパルトヘイトによって特定の場所に隔離されること、それが彼の中では豚小屋だったのでしょう。パーヴェルは最後に豚を放ち自由にするのですが、それはつまり脱走が明るみとなり、処刑されるということになります。夫婦は最後、ものすごく平和に、そして自由に過ごす時間があります。しかしその先に待つのは死という実に皮肉な物語であり、それは同時に現代にも起こりうる話でもあります。
栗山さんはこのお話のどんなところが魅力だと思われますか。
南アフリカの作家がロシア人を書いているわけですから、読んでいてロシア人らしくないところもあります。でも、小さな豚小屋に閉じこもることとアパルトヘイトにより人種が隔離されることをだぶらせ、自由とは何かを問うています。フガードはアパルトヘイトに関するドラマを立て続けに書いてケープタウンで上演し、評判の良かったものはロンドンでも上演されました。昭和63年(1988年)に文化庁の芸術家在外研修(現:新進芸術家海外研修制度)でロンドンに1年間いたのですが、その時にフガードの作品と出会いました。アントニー・シャーというイギリスでも大変人気のある有名な舞台俳優もフガードの作品に何本も出ていたほど、当時のイギリス演劇界においてフガードはフィーチャーされていました。そこでいつか日本でやりたいと思い、原作を買って現地で翻訳しました。
フガードの作品も含め、海外の作品には国境、民族、宗教など、あらゆる問題が含まれていますが、それは海外ではそういった問題が当たり前に自らの日常の中に渦巻いているからでしょう。日本のぬるま湯の世界しか知らないと、世界からどんどん切り離されてしまいます。「日本よ、どこに向かっていくのか」という明確な思いを各自が抱え考えなければいけないという思いもあり、こういう作品を日本で上演したいと考えました。
すべての演劇=エンターテインメントという印象を持っている人もいるのではないでしょうか。
だからこそ僕たちはこういう作品を上演していかないといけないのです。社会を、世界を、人間を考えるのが演劇で、それを提示する場所が劇場です。最近ではあまりにもエンターテインメントが多いので、僕は理解しようとしたり学んだりしたりする作品だからこそ選択することを、自分の役割としています。また、誰も観たことがない新しいものを作るよりは、僕たちが今忘れている大事なことを取り上げることが今必要ではないかという気がします。
世界のことだって簡単にわかるわけではなく、わからないからこそ次の世代へリレーしながら繋げていくものです。演劇もそう、人間もそうです。人間をただただ素直に書いている作品は、稽古していても3日でやることがなくなってしまいます。悲しいときにわあわあ泣いて、怒ったときにはケンカしてといった表面だけの人間がただ会話しているだけで、裏側が見えないからです。人間って悲しい時はそれに負けないよう笑うものです。その瞬間こそ、人間がそこに見えるわけでしょう。チェーホフなどが書く「あなたのこと大嫌い」というセリフ、それはたいてい「あなたのこと大好き」という意味です。人間ってそういう不条理なものだし、そこまで人間を解剖して書いている劇作家の作品というのは深く熱いですよ。
『豚小屋』は二人芝居で、パーヴェルとプラスコーヴィアの夫婦を北村有起哉さんと田畑智子さんが演じられます。お二人を出演者に選ばれた理由を教えてください。
海外の俳優は自己に対して非常に厳しい人が多い。単に有名とかお客さんが集まるといった要素だけの俳優ではこの作品は無理ですね、芝居には俳優の持っているセンスや生き方がそのまま出るものです。二人とは過去にも一緒にやっているので、このつらい芝居もしっかりと受け止めてくれると思います。
栗山さんは国内外問わず、数々の名作家による作品の演出を手がけられています。栗山さんにとって演出とはどのようなお仕事だと思われていらっしゃいますか。
僕にとって演出とは「世界とぶつかること」ですね。僕はひとりでふらっと海外に行くのも好きなんですが、それもきっと「自分とまったく違うものにぶつかりたい」という欲求があるからだと思います。そしてぶつかったときに自分が壊されていくのが快感なんです。だから戯曲を読んだ時、めっためたに壊されてしまうような作品と出会いたい。そして俳優にはジャンプしなさい、あるいはちょっと跳び過ぎだよとか、むしろ寝そべってみたら大地がもっと近くに見えるかもしれないよとか、俳優の力が最大限に発揮されるためのヒントを考えます。また、演出家は出会いの可能性を増やす役目を担っていると思うので、演出を通して人や物事、言葉、音楽などさまざまな出会いを指示することによって、俳優やスタッフ、そして観てくださる方とともに世界の多様性を知りたいと思っています。
多彩な舞台公演やエンターテインメントがあふれている現代の日本で、あえて現代演劇の魅力を挙げるとすれば、何だと思われますか。
ライブならではの現在性の魅力ですね。僕はいつも俳優に「その場で起こったことだけを信じて、その場で何か起こしてくれ」と言っています。その先のストーリーを忘れなさいとは言いませんが、その場で起こることの新鮮さこそ、ライブのすごいところだと思うからです。お客さんの目の前で、俳優が演じる人間の感情が色を塗っていくようにどんどん変わっていく。ライブだからこそ、そのさまを新鮮に見せられるのです。だから「はい、一生懸命稽古しました」という固定された完成品を見せられても、そんなもの面白くないですよね、DVDで見ればいいんですから。
今回の公演の見どころはどのようなことでしょうか。
「ここが見どころです」とか「こんな部分に注目を」といったことは、いつもあまり考えない。お客さんの感情と芝居がだぶるようなところがあればそれをすくい取ってもらえばいいし、関心のない部分はそのままに見てもらえればいいです。そんなところまで作り手は強制できませんから。 いちばん伝えたいのは、こういうことがあったという歴史の描写です。そして、豚小屋で隠れ住んでいた人たちもきっと生きたいと思っていた、けれど命を絶たれてしまった。そんな人達の命をもう一度再生させるのが演劇です。彼らが何を考えていたのだろうと僕ら自身も日夜稽古場で追体験していますし、お客さんもそんな彼らの生きる欲望を感じてくれたらと思っています。
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